WAJIMANURI輪島工房長屋(株式会社まちづくり輪島)見えないところに光る職人の技使うほどに価値が分かる一生ものの品永井 充分業制が支える故郷の伝統を受け継ぐ堅牢優美な「輪島塗」の魅力と塗師国の重要無形文化財にも指定されている輪島塗。その特徴は下地塗りの段階で壊れやすい部分に布を貼って補強する「布着せ」を行うことと、下地漆に「地の粉」といわれる珪藻土を混ぜた漆を使うことにあるそうです。永井さんが担う下地塗りと中塗りの作業だけでも4か月ほど要するのだとか。優美な加飾に目を奪われがちですが、丁寧に仕上げた土台からなる堅牢さもまた輪島塗の比類なき魅力といえるでしょう。iM Nagaitsuru1月1日に発生した能登半島地震によって甚大な被害を受けた輪島市。地震の爪痕が残る中、取材の1週間ほど前には記録的な豪雨に見舞われました。そのような状況下にあって快くインタビューに応じてくださったのは、輪島塗の職人である永井充さんです。陥没補修が進むも、未だ起伏の激しい道を走り、復興半ばの輪島の地へ向かいました。職人たちを束ねてプロデュースした漆器を各地で売り歩く「塗師屋(ぬしや)」の流れを汲む家系に生まれた永井さん。高校卒業後は石川県立輪島漆芸技術研修所にて学び、漆器の土台を作る下地職人としても活躍されています。受け取った木地に漆を塗り重ねて仕上げの職人へ繋ぐのが永井さんの役割。輪島塗は製造工程ごとに専門分化のうえ、分業で生産されているのです。現在は輪島と漆器の魅力を発信する体験施設「輪島工房長屋」に籍を置く永井さん。工房を訪れた際には漆器の修理作業に当たられていました。100以上の工程を経て分業制で仕上げられる輪島塗は決して安価ではありません。しかし、修理を施せば何代にもわたって使える一生ものの品になります。漆を幾重にも塗り重ねるため、丈夫で表面が熱くなりづらく持ちやすい輪島塗。使ってこそ分かる品質の高さは見た目だけなぞった模倣品とは雲泥の差といいます。一方で分業制であるがゆえに、輪島塗の文化を受け継いでいくことは容易ではありません。50年ほど前は輪島の町も活況を極めていたそうですが、ここ20年ほどは需要が落ち込み、各工程を担う職人の数も激減しました。とはいえ、輪島塗の知名度は今も抜群。永井さんは全国から訪れる工房の見学者を迎え入れながら「とにかく輪島塗の良さをもっと知ってほしい」と前を向きます。かつては自身の工房に籠り作業に没頭していたものの、今では作業風景を披露するだけでなく、その優しい語り口によっても輪島塗の魅力を伝えています。「初めは職人の仕事しかやっとらんで、人と喋ったことがないから、しどろもどろやったけどね。今は人と触れ合う工房の仕事が楽しい。こういう職場があって私は幸せもんや」と語る姿が印象的でした。生まれ育った輪島という土地自体への思い入れもひとしおです。永井さんが考える輪島の良いところは自然の豊かさ。中でも海に臨む棚田の風景は格別といいます。加えてやはり、輪島塗という産業がある点もこの町の魅力とのこと。折を見て山海美しい輪島の地へ足を運び、職人たちの技術の粋を集めた輪島塗の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。まずは戸棚にしまった漆器を改めて手に取り、思いを馳せてみるのもよさそうです。02被災時の永井さんご自宅の全壊状況紙芝居風の資料を使って、輪島塗のことを丁寧に説明くださる永井さん 能登半島地震発生時は工房にいたという永井さん。自宅は全壊したため、そのまま中学校に避難しました。防災の備えはしておらず、最初の3日間程は食べるものもなかったのだとか。一番困ったのは水とトイレが自由に使えなかったことで、不衛生な状況に体調を崩す人も続出したといいます。 13日目には市外へ2次避難。仮設住宅に入るまで1か月ほど過ごすも「もう他は行きとうないな。地元がいい」と輪島への愛着を更に深めたそうです。その仮設住宅も豪雨に見舞われて現在は再び避難所に身を寄せていますが、改めて自身の健康にも目を向けながら「2年後が輪島塗に携わって50年の節目。それまでは何としても頑張りますよ。病気にもなられんね」と、気持ちを奮い立たせています。さんの被災体験永井
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